株式会社 本家菊屋
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天正十三年(1585年)創業
御菓子司 本家菊屋
御菓子司 本家菊屋
弊店祖 菊屋治兵衛(きくやじへい)が豊臣秀吉公の弟君
豊臣秀長公に連れられ、大和の国に参りましたのが
天正十三年(1585年)でございます。
秀吉公をもてなすお茶会に何か珍菓を作るように命ぜられ
献上いたしましたのが、粒餡を餅で包み、
きな粉をまぶしました1口サイズの餅菓子でした。
秀吉公は大層お気に召され「鶯餅」と御銘を賜りました。
(砂糖が貴重な時代のことですので、一説には全国に点在します。
鶯餅の原型だという説がございます。)
時が経ちいつの頃からか、弊店が御城の大門を出て町人街の
1軒目に位置しますことから、「城の入口で売っている餅」
→ 「城之口餅(しろのくちもち)」という通称が付けられ、
今日に至ります
豊臣秀長公に連れられ、大和の国に参りましたのが
天正十三年(1585年)でございます。
秀吉公をもてなすお茶会に何か珍菓を作るように命ぜられ
献上いたしましたのが、粒餡を餅で包み、
きな粉をまぶしました1口サイズの餅菓子でした。
秀吉公は大層お気に召され「鶯餅」と御銘を賜りました。
(砂糖が貴重な時代のことですので、一説には全国に点在します。
鶯餅の原型だという説がございます。)
時が経ちいつの頃からか、弊店が御城の大門を出て町人街の
1軒目に位置しますことから、「城の入口で売っている餅」
→ 「城之口餅(しろのくちもち)」という通称が付けられ、
今日に至ります